朝メシ。雑穀米を30%くらい混ぜ込んだ健康的なご飯を軽く一杯。味噌汁は小袋に入ったインスタントの味噌に、乾物として麩とあぶらげと乾燥野菜を放り込んでティファールで沸かした熱湯を注ぐ。ひきわり納豆、フルーツ入りヨーグルトは旬が過ぎそうなイチゴ。少し前はベーコンエッグや魚肉ソーセージも食っていたが、年齢を重ねるごとに代謝が落ちているからこんだけ食えば十分ということにした。昔から朝メシを食っていて、それは幼少の頃からの習慣によるものだ。朝飯をしっかり食って学校に行くという日常が小さい頃からあり、そんな恵まれた家庭に育ったことをありがたく思う。幼少の頃からちょいデブだったおいら。とは言え、今のように腹が出っ張ることはなく、太ももや尻がデカいほうでガッチリした体格だった。上半身もそこそこいい体格だったから肩幅がやや広めで、だからこそ着やせするタイプでもあった。小6くらいにそのちょいデブさ加減に嫌気がさして、ダイエットだと言ってメシを食わないと言い出した時期があったが、母親はそんな不健康なことを許さずに毎日普通にメシを食わされた。食わされたなんて言いざまは見当違いで、健康的な肉体と健全な精神を維持するために必要なことだったと今ならわかる。
昼メシ。ちょうど昼頃に外出して外出先の人と会食となった。ちょっと豪華な町中華って感じの店で定食が1300円くらい。ダイエット中なので少しでもカロリーが低そうなものということでマーボー豆腐定食として、ご飯は少なめにとオーダーした。配膳されたライスは普通サイズの半分を切るくらいで、その少なさ加減にダイエットが継続できると喜んだが、その少なさすぎにガッカリしたのも確かだった。7対3くらいの感情。同席した若者と雑談をした。どこに住んでいて、趣味は何かといった当たり障りのないテーマ。年齢差は30歳近くある若い男。イマドキの若者らしく、大人しく自己主張は弱かった。30年前の自分もそうだったのだろう。オジサンと昼飯食って、自ら話題提起できるほどの性格でもなく聞かれたことに答えていただけだった。体重は50キロを少し割るくらいだと言っていた。体重50キロと言えば、おいらは中学1年生のときがそのくらいだった。クラスの体育の授業だかで、個別に体重を聞かれて49キロと答えて周囲から非難されたことをいまだに覚えている。そんなギリギリの数字でなく50キロと言えばいいじゃないというのが聴衆の言い分だった。こっちは50キロ台には到達していないんだぜという気持ちで、正直な体重を答えただけ。世の中の理不尽を感じた出来事だった。当時の身長は160センチに満たない程度だったと思うから別にデブだったわけではないが、昔からちょいデブだったという生い立ちがそういう言動を起こさせたのだろう。
夜メシ。流水麺のそばに、ワカメ・きゅうり・ミョウガ・ネギなどを混ぜ込んだもの。そばは炭水化物だけど、夜はこれくらいのものを食わないと満足感を得られない。肉はなくてもよい。野菜は正義であり、肉はたまに食えばいいものとなっている。極マレに恵比寿の高級アメリカ料理屋(名前はロウリーズ)でうまい牛肉を食うこともあるが、サイズは120グラムのトーキョーカットで、アメリカ人から小バカにされそうな小食っぷりだ。焼肉屋はトラジか叙々苑に極マレに行くくらいで、牛タンとロースを食えば満足できる体質。高いものはうまいにちがいないという思い込みがあるのも確かで、安くてうまいものを探すという根気がない。ハラいっぱいまで食うことは悪で、もちろん相応の満足感を得るのだろうが同時に罪悪感もあって、食った後に胃がもたれるという弊害もある。我々は飢えたことのない世代であり、まためぐまれた家庭に育っている。体重を気にしてダイエットするからといって、誰もそれを止めようとしたりせずに推奨されるくらい。食えないという日常はありえないことだが、残りの25年くらいの人生ではあるかもしれない。先進国日本、先進国の中ではどん尻くらいに落ち込んでいる。豊かでない日本がはじまっており、これからの暮らし向きがよくなることはないだろう。落ちて行く日本の中で、どれだけ日々を豊かに過ごせるかは当人の努力次第だ。ハイパーインフレになるかもしれない。日本円が価値を失い、それに応じて日本の借金がガツンと減るが、結果として多くの国民は苦しむ。でも苦しまない国民は少数ながらいるはずで、我々はそんな立ち位置にいたいものだ。資産をしっかり分散させておくべしということ。