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藤井四段が順位戦を戦っているのを見ながら将棋について考えてみる

中学生プロ棋士4人目の藤井四段について妻がずいぶん執心しているようで、テレビで特集やってたら必ず録画して何度も見るし、

今日みたいにAbemaTVでネット中継やってたら、家で仕事しながらでもセカンドディスプレイにその中継を流して見聞きしている。よくそれで仕事ができるもんだと思うが、集中力ってやつはこういうときに発揮されるのだろう。会社から徒歩圏内に将棋会館があるから、藤井四段の扇子でも買いに行こうかと話していたが実際に行ったという話は聞いていない。今日は順位戦というプロ棋士にとって最も重要な対局の一つで、これに勝ち続ければC級2組から1組に昇格できて、どんどん上がってA級まで上り詰めてリーグ戦を勝ち抜いて、現名人との7番勝負を勝ち越せば名人になれるって寸法。

前置きが長くなった。将棋は小学校低学年の頃に父親から教わって、中学生くらいまでたまに同級生と対局することがあった。兄貴とも指した覚えがあるが4歳年齢が違うので勝ったことはなかったはず。同級生との対局でも、ほぼほぼ負けていたという記憶が残っている。学校の成績はよかったおいらでコマの動きはいち早く記憶して今でもくっきりと覚えているくらいだが、こと将棋の実戦になると弱かった。昔は対局するために、生身の人間と盤をはさんで対峙するしかなかった。オセロレベルであればコンピュータオセロというハンディタイプのゲーム機が売られていて、当時で1万円近くしたものを金を惜しまずに買ってやりこんだおかげでずいぶん強くなったものだが、さすがに将棋なんていう複雑なルールのものをゲーム機で実現できなかった。だから将棋弱いって理屈はおかしいか。

それがどうだ。インターネット時代となりAIなんて技術まで出てきて、自室でPCを立ち上げれば好きな時にコンピュータやネット上の知らない人との対局が可能となっている。30年ぶりの将棋は、iPhoneに入れた将棋ソフトでコンピュータと対戦したことだった。20手くらいまで進めたところで負けそうになったから、アプリを落とした。インストールしたアプリも消した。弱いくせに負けたくないことが判明。将棋は見るものであって指すものじゃないことが判明。同級生に負けた続けたことのトラウマを脱却できないことが判明。麻雀は好きだけど、将棋は嫌いなんだ。

C級2組は50人が所属していて、上位3名が1組に昇格できる。藤井四段は全10戦中4勝していて今日5勝目となる予定。長い将棋の歴史のなかで中学生プロ棋士4人目であり、プロ29連勝という偉大な成果を出しちゃったので、全勝で上に上がることが義務付けらているようなもの。ものすごいプレッシャーがあるだろうが、そこは中学生でありまたヒョウヒョウとしたキャラクターだから心配はない。幼少の頃に対局で負けて泣いていればいいわけではない。これから30年40年とトッププロ棋士として活躍していく人だ。おいらが寿命を迎えるまで活躍することだろう。妻がそこまでファンでいることはないはず。一つ言えることは、将棋は見るもので指すものではないということだ。

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