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昇格という華々しい話の裏側には降格というダークな世界があった

昇格辞令というヤツは社内でオープンかつ華々しく展開される話題だ。若い世代を中心に誰々さんが主任になったってよ、誰々さんは係長だってさって感じ。おいらのようなアラフィフ世代になってくると、昇格するのはごく一部のデキるヤツだけで、おいらの見たところ社畜かつ上にいい顔できるタイプのみ。近頃は呼称を「さん」で統一しているので、昔ほど役職を意識することはなくなったけれども、何といっても給料に影響することなので役職は仕事をする上で重要なもの。おいらが最後に昇格したのは10年くらい前だったかな。課長代理という役職で、平均よりは早いほうだった。管理職の一歩手前の立ち位置で、近い将来管理職になるのかもなぁなんて、今思えばいいように使われていたなぁと思う。連日夜中9時、10時まで働き、仕事をすればするほど評価につながっていた時代だ。有給休暇が年間20日あるなんて都市伝説だと思っていた時代だ。

昨日社内の人事情報にやけに詳しい人間(人事部員ではない)と話しをする機会があった。あの社員番号が若い人(つまり年食ってるってこと)はなぜかヒラだよねぇって話を振ったら、そりゃ降格になっているからだよと返ってきた。課長代理⇒係長⇒主任⇒ヒラ、つまり3回の降格を経て今に至っていて、昔は社内の光輝く部署でバリバリと働いていたんだよ。上に反抗したのか消耗してやる気を失ったんだかで間接部署に異動になって、あとは時間の問題で降格の連続。さらにはそんな境遇にいる人間の名前が出てくる出てくる。どこでもそうだろうけど降格人事はオープンにならない。その本人とMGRには明らかにされるが、同じ部署にいる人間には知らされない。役割が変わったりしてなんとなく伝わって社員検索システムで調べて、あーやっぱりそうだったかとなって、あとは人づてに伝わっていく。こうやって、水面下で情報が知れ渡っていくってのはどうかと思う。昇格事例と同列で降格人辞令も明らかにしたほうが、本人のためになると思うんだけどなぁ。裏でヒソヒソうわさされるよりは、一度ガツンと公表されたほうが、その後の仕事がやりやすいと思う。なかには屈辱を感じて辞めちゃう人間もいるかもしれないが、その悔しさはその後の生き方にいい影響を及ぼすんじゃないか。

おいらも他人事ではなくなってきている。順調に評価が下がっていけば、あと1年半で降格になる。少し前まではそんな屈辱を味わいたくないと考えて、そうならないようにがんばったりもした。今はそれもいいんじゃねと考えている。自分なりに成果を上げたつもりが評価につながらないなんて、どこにでもあることだし、自分だけができる人間だとは思ってない。プラスに考えるならば、期待されなくなることで責任や業務が減って、自分の自由になる時間が増える。仕事に支配される生活から、仕事は適度にやってプライベートを重視した生き方になれる。もちろん収入は減るわけだ。でも、自由に使える時間が増えるから今まで以上にブログが書けてAdSenseやアフィリエイトからの収入で補えるんじゃないか。手堅いところでは、株や投資信託、仮想通貨による収益でまかなえると踏んでいる。会社という組織のなかでの競争はもうウンザリ。それに喜びを感じる人間のなかでせいぜいがんばってくれって感じ。おいらは社内で一定の役割を果たしている自負があるのでこれ以上消耗するのはやめて、自分らしいワークライフバランスを実現することにする。降格辞令ドンとこい!

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