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西城秀樹さん亡くなる

歌手・西城秀樹さん死去 63歳 傷だらけのローラ、ヤングマンなど大ヒット
ふだん芸能ネタにはさほど興味を示さないが、この件だけは違った。おいらの名前は秀樹で読みも漢字も同じであり、物心つくころには同じ名前のこのスーパーヒーローが活躍していた。まだ63歳ってことで、本当に惜しい人を亡くしたという感情だ。

自分の名前の由来は何かを調べてくるという宿題が小学生の頃にあった。親との会話を密にするという教育方針として素晴らしい宿題だったと思う。聞き出した結果はあいまいだった。1.湯川秀樹のようにエラい人になってほしい 2.遠い親戚に秀樹という名前の立派な人がいた 3.西城秀樹のように活躍してほしい。3については今おいらが勝手に付け加えてもの。だっておいらが生まれた70年には西城秀樹がデビューしていなかったから。Wikipediaによると72年に「恋する季節」で歌手デビューから始まり、79年「YOUNG MAN」で大ブレーク、83年「ギャランドゥ」、91年「走れ正直者」。こうやっておいらの知ってる曲を挙げてみるとけっこう曲は知らないなということがわかる。ヒロミ郷はカラオケでたまに歌うが、ヒデキは歌ったことがないこ。カラオケ行く機会があったら、ギャランドゥか走れ正直者を歌ってみることにする。小学生の頃、ヒデキ感激!とかからかわれてリアクションに困ったりもしたが、ヒデキという名前はそうそうないものだったし、ヒデキーって呼ばれることは自分的には好印象だった。西城秀樹という絶大なるエンターテイメントがおいらの名前には埋め込まれていて、総じて得をした。西城秀樹の写真と自分の写真を見比べて、ボクもこのくらい目がデカくて印象的だったら、モテるのになぁなんて思ったのも古きよき思い出。

秀樹という漢字を説明する場合、西城秀樹のヒデキって言えば伝わる時代だった。昭和を知る人間には今でもわかるだろう。近頃では優秀のシュウに樹木のジュって伝えている。結婚前は秀才のシュウって言っていたが、妻からダメだしされて言わなくなった。まるで自分のことを秀才だって言っているみたいでイヤらしいと。秀才よりは優秀のほうがレベルが落ちるからまだよいということで、なるほどねぇと思った覚えがある。漢字の読みとしてはシュウが一般的だが、秀(ひい)でるとも読む。ヒデとは読まないところがおもしろい。「ひいで」が「ひで」と短縮されて人名として使われ始めたと予想。秀樹という名前の有名人の元祖は湯川秀樹だろう。物理学者で日本人として初めてノーベル賞を受賞した人。親いわく、おいらの秀樹の由来は湯川秀樹が有力とのこと。遠い親戚に秀樹がいたってのは苦しい説明だから。とりあえず理系の大学には進んで、物理は比較的好きだったが、学者になるほどの才能と努力はなく、くたびれたSEになっただけだが、まぁ親としても自分の子供がそんなにエラい人になるとは思ってなかっただろうから、そこそこ満足しているんじゃないかね。

63歳は若い。2003年に最初の脳梗塞を発症し2011年に再発。いずれの場合もリハビリを経て回復している。一部声帯の神経が損傷したとか、右半身麻痺の後遺症が残ったなんて状況でも、その後ステージに立っており、晩年は地味ではあるが芸能界に居場所があった。西城秀樹さん、おつかれさまでした。亡くなってなお、あなたはおいらの永遠のアイドルです。

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