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理不尽なこと

人間30数年も生きていれば、理不尽なことを何度も経験する。

ふと思いついて、ここ数年に経験した理不尽なことを書くことにした。

いずれも日常の些細な事だが、妙に印象に残っている3つの出来事を

つらつらと書き連ねてみる。

1.電車内で

朝のラッシュ時間帯。

いつも乗る電車内で、それは起こった。

そこそこ混雑しているが、ぎゅうぎゅうまではいかない車内。

つり革につかまることのできないポジションにいた。

ある駅で、まとまった人数が降りたことにより、

扉の脇の場所が一つ空いた。

最短距離にいた俺は、すばやくその場所を占有し、

座席側に体を向けて、雑誌を読み始めた。

扉の脇のポジションは、つり革はないが、

体を電車の側面と、座席の端にある壁に

あずけることが可能で、混雑している車内では

座ることに次ぐ、好条件のポジションだと思う。

ある駅についた。

けっこうな数の人が降りる駅だ。

俺がいる側の扉が開く。

その瞬間、俺の体の側面に対して強力な力を感じた。

押されている。

だが、電車の側面に体の側面を預けている俺は、

ちょっとやそっとの圧力ではビクともしない。

0.5秒後にも同じ程度圧力を感じた。

俺は雑誌に集中していた。

圧力の主は、電車から降りる際(俺の背後を通過する際)、

ブツブツ言いながら、俺の背中を叩いていった。

それほど痛いわけではなかった。

状況は、瞬時に理解できた。

ちゃんと、降り口の通路は十分空けていた。

そいつの顔を見ることはできなかった。

即座に電車を降りて、そいつをひっつかまえて文句を言う。

もちろん、そんな瞬発力もバイタリティーも俺にはない。

そんなことしたら、刺されるかもしれないし。

残ったのは、背中に残る少々の痛みと、理不尽な感情だけだった。

2.雨が降る日の駅構内

いつものように自宅から駅に向かって歩いている。

そこそこの雨が降っていた。

俺は、折りたたみ傘を使っていた。

よっぽどの大雨で、1日を通してずっと振りそうな日以外は、

折りたたみ傘を使うことにしている。

忘れるし、かさばるためだ。

駅につく。

俺は、電車に乗るときは折りたたみ傘をたたんで

かばんに突っ込むことにしている。

傘を手で持っていると、本を読むことが困難になるためだ。

かばんの中が多少濡れるが、大したものは入っていないので気にならない。

駅構内の少々せまい通路を歩いているときに、それはおこった。

俺は、折りたたみ傘をたたむために、人一人分前方にスペースを開けて、

傘をたたむために、前方に傘を突き出した。(もちろん傘は閉じたまま)

その瞬間だった。

背後から人が飛び出してきて、俺の前方を横切ろうした。

濡れた傘と、その人間は、みごとに衝突した。

鬼のような顔を俺に向けながら舌打ちをして、去っていった。

どう考えても俺は悪くない。

「チッ」という舌打ちの音が、いまだに頭の中に残っている。

鬼のような顔は、もう忘れた。

3.ジョギング中

週末は近所の川っぺりをジョギング。

1年くらいは続いた、とてもよい習慣だった。

(腰を痛めて、今は走ることができない。)

川と平行に走って、橋を渡って、

今度は逆方向に川と平行に走って、また橋を渡る。

約1キロの周回コースだ。

これを8周してトータル8キロを、約1時間で走る。

そんな、とても健康的かつ健全な週末にそれは起こった。

前方に小学校高学年と思わしき女の子を一団を確認。

こちらに向かってきている。

道幅いっぱいに横に広がっていた。

見事なまでに横一列に展開している7、8人の一団だった。

近くまで接近すれば、道を空けるだろうと考えたのは

甘い思考回路だった。

誰もが話しに夢中だった。

誰もが前を見ていなかった。

俺は、左側に寄った。

地面をたたく足音を少々響かせてみたが結果的には無駄だった。

まったくよけるそぶりもなく、10メートルまで接近した。

俺には「そっちがよけるべきだ」という強い感情があった。

スピードを落とすつもりはなかった。

逆に加速したのは、大人気なかったかもしれない。

残り3メートル。

急停止したのは俺だった。

その足音に驚いて、俺の正面にいた女の子は飛びのいた。

俺は何事のなかったのごとく走り出した。

背後から数人の罵声が聞こえた。

よく聞こえなかったが、何やら怒りがこもっていた。

彼女らは、俺の行動に強い理不尽を感じたのだろう。

俺はランナーなんだ、と心に念じた。

俺の道をさえぎるな!と怒りを掻き立てた。(もちろん心の中で)

ユーターンして、彼女達に相対する自分を想像してみた。

まるで大人気なく、無意味だと思った。

強く印象に残る理不尽体験だ。

ふと思いついたにしては、細部が妙にはっきりしている出来事だ。

いずれも些細なことであり、致命的な理不尽さもなく、

日常のなかでいくらでも起こりえる事件だ。

それこそ、もっと強力な理不尽を感じる出来事だって経験している。

しかし、不思議と印象に残らないし、細部を覚えていなかったりする。

おもしろいものだ。

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