サイトアイコン CAD日記

浄化してしまいたい(2)

40歳代の子持ち女性が、思い出したくない嫌~なエピソードをネタにして浄化するブログ。
浄化してしまいたい
より影響を受けて、おいらの浄化してしまいたい人間について書く記事第2弾。

小学生時代のイケてないグループでの活動で忠治と会った。おいらは小学校4年生くらいまでは運動が得意だったが、高学年になるにしたがって相対的に運動能力が低下していって平均より少しいい方という程度に落ちぶれた。成績はトップクラスを維持していて、なんでお前らそんなにデキネェのって感じだったが、学校のヒエラルキーでは成績よくてもあまり上には行けない時代で、運動できるやつらが上位でのさばっていた。性格的にも人間関係メンドウ派で、地味なチームで楽しくやっていた。そのチームにいたのが忠治で、今でいうところのオタクっぽいヤツで、今でこそオタクは文化みたいな感じだが当時はそんなヤツが周囲に認められることもなく、後ろ暗い感じでみられていた。

ヤツは中島みゆきが好きだったなぁ。前出のCDステレオで中島みゆきばっか聞いていた。おいらはまるで興味なくて、へーってな感じだった。小学校高学年は女子が優位な時期。男子よりも背がでかくて、何だか女っぽくなったりするヤツもいて、幼い男子とはわけが違う。おいらの家は比較的裕福だったから、室内犬のポメラニアンを飼っていて、家に遊びに来た友人はものめずらしくかわいがっていた。ある日忠治が犬の散歩に公園に行こうと言い出した。おいらは出不精で外なんか行きたくなかったが、やけに熱心だったので同意した。その公園は団地に併設されているようなところで、行けば必ず同級生と遭遇するようなところ。案の定、イケてる女子チームがいて、ちっちゃくてかわいらしいイヌを連れた忠治に注目が集まった。あー、そういうことねと合点した。どんな優位性を誇るかで性格はわかるもんだなと当時思ったし、今でもはっきり覚えている忠治の記憶だ。

時代は進んで高校1年生。当時の16歳にとって一番興味があったのはゲンチャリ。忠治は何乗ってたっけかなぁ。。DJ1Rだ。なつかしいねぇ。おいらはというとヤマハExcel。HiR、Champ、JOG、タクトなんて売れ筋のものがあるなか、超マイナーなExcelに乗ってたのは何でだっけかなぁ。よく覚えてないぞ。今でこそExcelと言えば表計算ソフトで有名だけど、Excelってフレーズは当時知られてなかった。そんなゲンチャリを得たオレらの行動範囲は劇的に広がった。高3になったある日、忠治が通う高校まで行った。ヤツに付いていっただけなので詳細な場所は覚えていなかったが鮫洲の近くということだけは覚えていた。おいらが今住んでいるところなわけだが、足立区という東京の端っこからよくも品川区まで毎日高校に通ったもんだなと感心。東京都立工業高等専門学校であり、今でいう東京都立産業技術高等専門学校だ。おいらの父親は高専卒なので高専のいうのはよく知っていた。ヤツは進路に悩んでいた。留年(3年生をもう一度やる)するか、3年間で高校卒業資格を得るか。高専あるあるみたいで、ようするに翌年4年生にはなれないぞという通告。

彼は3年で卒業することを選び、公務員試験に合格して公務員になった。おいらの兄貴もその手の公務員なのでとても印象に残っている。おいらが大学1年になり、ある日部屋に遊びに来た忠治が駐車場を探していて、オマエの親戚を紹介してくれないか言ってきた。父親の兄が土地持ちで駐車場を貸していたのに目を付けて、不動産屋を介さずに直接契約して安く駐車場を借りたいということ。ケチというかセコイというか、まぁ経済観念の優れたヤツだ。ある日は朝バス停で会って、株売買をやっていておもしれーぞと言っていた。株ねぇ。。ってまるで興味を示さなかったおいらだが、それから20数年経ってから株やら投資信託やっているよ。

忠治と最後に会ったのはそのバス停が最後。それから一切家に来ることもなく、電話が来ることもなく30年が経過している。忠治なんて名前はレアだし苗字もめずらしいからと、ネットで検索してみるも全くヒットせず。80歳代の地方議員の名前が出ただけ。Facebookにも見つからず。小中学校時代の仲良くしていた人間を片っ端から探してみるも、まぁヒットしないね。今50歳以上という年齢はITから取り残されてしまっているのだろうか。忠治からはいろいろとおもしろいことを教えてもらった。生きているうちにいつか会いたいので、年に1回くらい思い出して忠治の名前でネット検索してみようと思う。死んでなければ、いつか会えるはずだ。

モバイルバージョンを終了