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梅島に思いを馳せて

生まれてから社会人2年までの24年間を過ごした足立区。最寄りの駅は梅島で、徒歩だと30分近くかかるのでのでチャリで通っていた。梅島っていうからにはもともと島だったのかって、東京にそんな島があったわけもなく調べてみたら、梅田と島根を合わせて梅島だってさ。なお、梅田と島根という地名は今でもある。

仕事がひと段落したので有給休暇をとった。妻は仕事なので、1人でどうやって過ごしたもんかと考えあぐねた末、実家の母に顔をみせにいこうとなり、この駅に降り立った。天気が悪く雨がずっと降っていたので観光地に行くような気分にならなかったのだ。

駅からガード下を1分ほど歩いたところに駐輪場がある。当時は月額2千円だったが今は2800円になっていた。30年かけてこの程度の値上げなら妥当。

朝晩ここを使っていたわけだが、一つ思い出すことがある。それは社会人2年目のことだった。SEとして入社したにも関わらず、1年間にもおよぶ営業研修があってタイヘン長く苦しい期間を過ごして、その最終日に仕事が終わって帰宅する際に「あー、やっと終わった!」と心底ほっとしたのがこの場所だった。通勤中はまだ仕事の範疇であるのに対して、地元に戻って見慣れた場所を目にして安堵。24歳の若造。社会の荒波にもまれていた。

駅前に新しくできたLIFEはまだ営業を開始していなかった。夏開店らしい。この場所にもともとあったのが宇宙センターという名のパチンコ屋であり、その隣に松岡商事というパチンコの経営母体の会社と喫茶店があった。

梅島のシルビアといえば長い歴史がある昔ながらの喫茶店で、以下の記事に詳しく書かれている。
【梅島】シルビア 梅島店(2)モーニング(閉店)

おいらが大学1年くらいだったかな。喫茶店シルビアでバイトしていた。半年くらいは続いたはず。同僚のおばちゃん2名、中国人の料理人のことを覚えている。おばちゃんAはにんじんを大量に入れたカレーを作って、これがおいしいんだよねとアピールしていた。おばちゃんBはしゃべりだしたらとまらん人で相手するのに疲れたもんだ。中国人はカタコトの日本語が話せる程度で、いらっしゃいませという発音があまりに外国人っぽいので、日本人が言ういらっしゃいませをおいらがこんこんと伝えるも、ぜんぜんなおらなかった。松岡商事の社員は割引が効くんだかでよく来店していた。OL衆はケバイ人が多かった。営業だかの中年おじさんはおばさん達としゃべりにひんぱんに来ていて、自分とこではない別のパチンコ屋で打って勝ったの負けたのと言っていた。社長がたまに来て、特等席に座ってのんびりしていたというのもある。一介のバイトであるおいらに注目する人間は誰もおらず、まぁ居心地がよかった。ただ、寂れ感があるこの独特なところに染まってしまうのもどうかと思ったし、若者らしい華やかさがないと感じて、バイトを辞めて、家から比較的近くにあったレンタルビデオ屋のバイトとなった。ジャンボシアターという店名でけっこう手広くやっていたが、今はセブンイレブンになっている。

駅から家まで歩いたら30分もかかるのでタクシー乗車。タクシー代が1400円だったから、こりゃー歩けんよなって思う。実家で母親と義姉としばらくしゃべってから、母親とおいらで北千住に向かった。近頃はバスの本数が増えていて、実家から徒歩2分程度のところにあるバス停から北千住までは18分で着く。丸井の9階レストラン街で「天ぷらのつな八」に入って、特上天ぷらコースを選んだ。ビール1杯飲みながら談笑して、日々の平和さ加減を堪能。母親は81歳になったということで、いやはや時間の経過を思い知らされる。こうやって会えるのも少なくなってくるわけだから、ひんぱんに顔を見せに来なきゃねと思ったさ。

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