サイトアイコン CAD日記

スピーチ

80人からの人間の前で話さなければいけなかった。
少し前にふざけて書いた「CADの歴史」では話にならんので、
かなりまじめに書いたつもりだ。
某CADと書いたところは、実際の製品名としてしゃべったわけだが、
ここに書くのは支障があるので伏せておくことにする。
他に固有名詞として支障があるところもあるので伏せておいた。
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某CADについてお話しします。
平成?年バージョン1がリリースしてから?年が経つ歴史の長いソフトです。
日本で始めてWindowsに対応したCADとしても有名です。
今日は、3つのテーマで某CADの歴史を紹介します。
一つ目は98です。
NEC製のコンピュータのことで、私が入社した平成?年あたりに一世を風靡していて、
パソコンと言えばPC98を指していたくらいです。
ただ、CADの場合高い性能を持ったPCが必要だった関係で、H98つまりHyper98
というやや高価なPCといっしょに売っていました。
98の時代は長く続き、DOS/Vが出てきて消えて行きました。
他にNEC製ではEWS4800やEXPRESS5800もあり、某CADUNIX版もありましたが、
やはり消えて行きました。
二つ目は中国語版です。
台湾に?という現地法人ができて、私もはじめての海外出張を経験しました。
CADの販売と保守を主業務とした業態で、オリジナルCADである某CADの
中国語版作成が行われたのです。
今でこそUnicodeという便利な文字コードがあって、多言語対応が容易に
なってますが、当時の技術ではなかなか苦労したということです。
結果1本売れましたがそれっきりという残念な結果でしたが、その後の
?の上海進出の何らかの役に立ったのではないかと思っています。
三つ目は3次元CADです。
フランスに?という?で有名なCADメーカーがあり、そこの?という製品との
連携機能を仕立てあげてセット販売しました。
結果思うような成果はあがらないまま?は廃版になりましたが、その後
ミッドレンジ最強と言われれる3次元CADのSolidworksとの連携につなげ、
某CADの販売向上に寄与できたのです。
また、AutoCADとのデータ変換率向上や建設CALS対応など外部データ交換
へのアクションにもつながったと思います。
現在、某CADの保守ユーザー数は、?社?ライセンスあります。
この数字を維持して、?年後のリリース30周年を迎えたいと願っています。
某CAD、どうぞお見知りおきください。
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結果、6~7割程度しかしゃべれなかった。
朝礼でしゃべる関係上、まずは「おはようございます」と言うわけだが、
いきなりドモってしまった。
笑いというかざわめきが返ってきたのに気付いたのは、自分の名前を
しゃべっている途中で、これが最初のつまずきだったと思う。
最初に話すことは頭に叩き込んでいたから、すんなりと話しはじめたが、
聴衆の反応は無反応で、なんだかつまらないしゃべりをしているという
思いになり早口になり、しゃべればしゃべるほど体が震えてきて、
あっという間に話しを終えたように感じた。
間をとるとか、聴衆の反応をよくみるとかなんて余裕は全くなく、
体の震えを隠すことでせいいっぱいだった。
その後しばらくは、胸の高鳴りが止まらずに息苦しかったくらいだ。
人前でしゃべるってのは大変なことだと痛感した。
いい経験ができたと考えて、次に生かしていきたいぞ。

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