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和菓子を作って30年の職人が友人にいるので会ってきた

彼とは高校の同級生で同じクラスになったことはないが、北千住の肉屋のバイト仲間となったことをきっかけにして、卒業以来約30年の付き合いだ。そうそう、北千住の駅ビルは今じゃルミネだけれども昔はWiz(ウィズ)といって、高校生の我々にとって重要な場所だった。その地下1階に食料品の専門店街があって、おいらと彼は肉屋(日山)で、他に魚屋、総菜屋、クレープ屋なんかに分散してバイトしていたのだ。2年の中頃からの1年くらいだったかな。学校終わった夕方から閉店までで、当時自給700円で1日3000円くらいかせいでいた。NECパソコン全盛で、ネットといえば一部のマニアがアナログモデムでパソコン通信(ニフティ)している時代だった。

そのバイト仲間を中心とした高校の同級生仲間が卒業後も会うようになって30年経つ。彼は卒業するときから、家の和菓子屋を継ぐと言っていた。専門学校に行って和菓子の基本を学び、その後、外での修業期間を経て、両親が営む「梅林堂(ばいりんどう)」を引き継いだのだ。その時すでに、その後の長い時間を過ごす伴侶を得ていたのは彼にとってラッキーだっただろう。夫婦二人が一日中顔を突き合わせて、けんかすることもあるだろうが、お互いがお互いを頼るような関係性を築いたのだろう(おいらは今回の店訪問で、初めて奥さんと会ったが、人の好さそうなきさくな人だった)。ようやく、インターネットとケイタイ電話が出てきたくらいの時代だった。

近頃の駅前商店街の衰退は加速しながら進んでいるが、彼の店はその影響を最小限にとどめてひっそりと手堅く継続している。東武線の東向島駅近くという立地もよかったのだろう。浅草に近く下町風情あふれる街で、昔からそこに住む人々を常連として営業を続けてこれたのだ。地域的にそこは新たに住み始める人は少なく、固定化された住民(主に中高年)の日常に和菓子屋「梅林堂」が組み込まれたってことだ。もちろん、和菓子を作るウデの良さもあったのだろうが、そこはおいらが和菓子をよく知らんのでスルーしておく。2年ほど前に彼はガラケーからスマホに変えてLINEくらいはやっているが、そこは下町の中年和菓子職人らしく、それ以上ネットの悪に染まることなく堅実にコツコツと家業を営んでいるのだった。ようするに、ITリテラシーが低いだけかもしれないけど。。


東向島のとなりの曳舟駅ホームから見えるスカイツリー。くもっていたので上のほうは雲の中に埋もれてしまっている。スカイツリーができた5年前に彼は言っていた。それができれば、近辺にも多くの人が来て経済効果が期待できるのではないかと。確かに、スカイツリーのある押上駅とスカイツリータウンなんかは、日本あるいは世界中から人が押し寄せていて、すごいにぎわいだ。だからと言って、そこから2駅の東向島駅にも人が集まっているかというと否。まぁ、結果としてはよかったんじゃないかね。人が押し寄せて大手との競争にさらされるよりは、昔ながらの商店街で常連のために和菓子を作り続けるっていう生き方が彼には合っている。

将来性ということでは不安があるだろうが、別に創業100年の老舗ってわけでもなく後を継がせる人間がいるわけでもない(後で聞いたら創業94年だった)。今後、夫婦二人とお母さんが暮らしていくだけの地盤は築いたはずだ。思えばおいらも年をとった。友人に30年の経験を持つ和菓子職人がいるんだから。年に一度集まる仲間の会では、彼がつくる和菓子がおみやげとして提供される。それを我々は恒例のこととして「ありがとう」とお礼は言うものの、ちょいと軽く見すぎていた。長く続けてきた職人として自信とプライドを見出し、深い感謝と尊敬の気持ちを持って受け取ろうと思う。スマホで何でもできる時代になったが、旧友の店で軽妙な会話をしつつうまい和菓子を買って食うことは、実際に店に足を運ばないとできない。

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