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関東7名城の一つ金山城に行ってきた(2)

関東7名城攻略の4つ目としての金山城に行ってきたというレポートの第2弾。第1弾はこちら。

太田駅からレンタサイクルを20分ほど走らせるとガイダンス施設に付く。隈研吾デザインの立派な建物。平日の水曜日の午前中ということもあって客はおいらだけ。ガランとした広い施設を独り占めして、ゆうゆうと見学した。地域振興の一環として大いに金をかけたようだが、無駄遣い感がハンパなかった。でも、おいらのような人間もいるんで、一概に無駄遣いだと断じるつもりはない。

ガイダンス施設から山に入っていくにあたって、序盤に道しるべあり。ちょっとした山登りなんだろうなという前情報の中、登りはじめたが。。往復で2時間くらいを要した。高尾山級の山登り。晴天の5月中旬だから暑いし、急な傾斜を一歩ずつ登らなきゃならんから大変。

金山城西条を越えて少しいくと、月の池というのがある。1つ目の池。

いかにも城っぽい石垣あり。大手虎口。実城へ向かうための通路を厳重に守っていた一大防御拠点。前情報でこれは知っていた。もうゴールが近いんだろうなと思ったら大間違いで、この先が長いこと。。ここまでで全体の半分くらいかな。

2つ目の池は日ノ池。山頂付近に池があるというのはめずらしい。神聖な池だったとさ。

新田神社。ここまで来たらほぼゴール。

神社の裏手に回り込むと、ゴール地点の金山城石垣がある。

本丸残存石垣ということで、残っている石垣はほんのちょっと。

関東7名城の特徴は城跡が多いこと。城として復元されているところは行田の忍城だけじゃないかな。実際に行った宇都宮城はグルっと土手のようなものがあっただけだし、川越城はどこが城跡だったんだという印象すらなく展示施設を見学した記憶しかない。小田原城は立派な天守閣があるが、関東7名城ではない。関東7名城って何かと言えば、上杉家の支援、攻略対象の城とのこと。だから埼玉、群馬、栃木、茨城にしかないんだね。

攻城の証。

最後に金山城の歴史をを少しだけ。鎌倉時代後期に活躍した新田義貞の家系である新田一族により築城。上杉謙信や武田勝頼の攻撃をしのいだ難攻不落の城。戦国末期に北条家側に付いたため、豊臣秀吉による小田原征伐の際に落城し、その後廃城となった。日本100名城。2009年にガイダンス施設が開館したことによって、日本全国の城ファンに注目されるようになったみたい。

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