サイトアイコン CAD日記

怒りと正常心

ちょっとしたことで、今日は心を乱された。
ソフトウェア開発者は自分の非を認めず、誰かに責任を転嫁することが
正義なんだ文化にあやうく流されそうになった。
バグが出たときに、その責任追及することは当然だ。
ただし、自分の責任を回避して誰かにおっかぶせることが正義ではない。
そうなってしまった反省から、今後どうするのかを主体的に導き出すわけだから、
そこに関与している人間は大なり小なり反省すべきであり、
そんな中から、今後の前向きさを形づくる必要がある。
絶望的で破滅的で否定的な思考のなかからは、恨み憎しみしか生まれない。
質問されると、ついついそれに回答しようとする回路が働くのは、
人間の宿命らしいが、そうでない輩がいる。
質問をする側にしかいなくて、それを聞いて否定することにより、
自分の主張の裏付けとするようなやり方だ。
ある意味正しく、ある意味間違っている。
説明責任があるということは、否定されることを恐れないということで、
主体的かつ前向きな立ち位置だと思うが、ただ単に否定をする側には、
前向きな正義を感じない。
否定をする側の苦悩もわからないではないが、一方的かつ理不尽な
否定からは何も生まれない。
バグに対する対処の仕方で、ソフトウェア開発者の真価が問われる。
おいらもその真価を問われているのだ。
過去と現在の反省の中からしか、未来の展望は開けない。

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