CAD日記

AutoCAD,DXF,DWG,SXFなどCADのことから、仮想通貨や投資関係、PC関係、プログラミング、国内海外旅行情報など何でもござれ。@caddiary

自己紹介

【このブログについて】
CADに関わりはじめて25年。ブログを始めてからは10数年。CADのブログとしては一定の知名度があるかなとは思いつつも、収益が出るほどのことではなくて今一つ。CADのデータ交換でAutoCADのDXF,DWGが使われていて、そのへんの情報提供にと思ってこのブログを始めた。近頃では、仮想通貨、PC関係、プログラム、グルメ、旅行など雑多なことを書いていて、CADのことをなかなか書けていない。とはいえ、CAD日記としてやっているわけなんで、毎年出るAutoCADは注目の対象。

【仕事】
IT商社にSEとして新卒で入社したのが1993年。平成5年だから平成5期と呼ばれる世代。大学が工学部機械工学科だったからとシステム子会社のCAD開発課に配属されて、そのままずっと同じ部署で20年以上の時間が経過。IT商社は、悪名高くて軍隊のようなキビしさだと言われていた。営業会社だから、当然のことながら営業成績が何より優先される。SEとしての配属前に、一般および技術系の研修を半年受けたのは至極あたり前だったが、その後に1年間の営業研修があった。つまり、入社してから1年半経ってからようやくSEとして配属されたってこと。営業職を1年間きっちりとやらされたことは、当時はなんのこっちゃとイキドオリ100%の感情だったが、今ずいぶん時間が経ってから思うのは「それもずいぶんと役に立った」なという感情。何事も経験なわけで、モノを売るってことの難しさ、ビジネスの人間関係の機微ってものがよくわかったかな。なお、営業成績は可もなく不可もなくって感じだった。SEとして配属された同期のうち、その1年半のあいだにそのまま営業になったものや辞めちゃったものが出て、最終的にSEとして配属されたのは7割くらいだったのかな。
システム子会社には業務系・情報系・CADと3つの柱となるアプリがあって、CADは当時十数名の大所帯だった。同期はいなかったが2つ歳が上の先輩がいて、おいらの後には3世代くらいの後輩が続々と配属されてきて、組織として人間の配置がしっかり行われていた。メンバーは最大で20人くらいになったかな。おいらが配属されて10年くらい経って、CADが下火になってきて徐々に人間が少なくなって、今現在いるのはおいら含めて3名(うち1名アルバイト)という状況。開発の主体が協力会社に移ったから、おいらの仕事は協力会社と社内の品質管理系部署とのつなぎだけ。プログラムをガッツリと書いていたのは入社してから15年くらいがいいところで、今じゃ趣味みたいなアプリのためにたまにC++で書いている程度。

【専門技術を持っている分野】
配属されてまず担当したのはDXFコンバータ。そこでAutoCADに関われたことが、このブログを誕生させたきっかけになった。自分とこのCADの技術なんて、いくらがんばったところでしょせん外で通用しないわけで、誰もが知っているAutoCADに触る機会が持てたのは運がよかった。なお、自分とこのCADは名前こそ出さないが、日本ではじめてWindowsに対応したCADとして有名だったらしい。Windows 3.0Bという時代で、グラフィック機能が貧弱だったからとアホみたいに高いボード(AGA-10・アガテン?)を買って開発・販売していたとさ。
初めて触ったAutoCADはMS-DOSで動作するR12Jだった。マニュアルは英語だったし画面に出てくる言葉は妙な日本語だったりと、わけわからんかった。その後R13J、R14とWindows版が出てきてようやく日本人でも使えるんじゃねって感じになってきた。データコンバートするのが目的だったからAutoCADの機能については最低限わかればよかったので、その点ではおもしろかった。開発元のAutodesk社が出しているDXFリファレンスは、最低限のことしか書いてなくてあまり役にたたなかった。そこで重宝したのが落合重紀氏の著書。今でも、DXFハンドブック 第2版(8208円)として販売されている。こいつをしっかり読み込んでDXFの何たるかを理解して、プログラムを組んだものだった。DXFはテキストファイルで、テキストファイルで見ると縦にずらずらと並んでいる。2行がセットでグループ番号とその値という感じ。AutoCAD 2010のDXF形式くらいからDXFの構造が複雑化してきて、さらにはオリジナルデータであるDWGの解析が可能になった。OpenDWGの登場だ。年間数十万のライセンス料が必要になるが、それまでは独自でデータ解析しなければならなったのがツールの手続きに沿ってデータの読み書きができるようになった。そのツールは今ではTeigha(ティーガ)と呼ばれており、AutoCADの廉価版互換CADの開発やAutoCADデータの読み書きをするコンバータ開発をしている人間なら必ずわかるものだ。

【自ら企画して開発したAutoCADデータコンバートツール】
そのTeighaを使ってAutoCADデータのコンバートツールを作ったが2005年だった。ペーパー空間(レイアウトとも呼ぶ)を利用した図面をモデル空間の図面に変換する。AutoCADのペーパー空間の使い勝手は最悪で、一部の頭のいい人には受けたみたいだけど、大半のユーザーにとっては訳わからん機能だった。ペーパー空間の図面をその見た目を維持してモデル空間の図面に変換できないかっている要求が、AutoCADユーザーのなかで高まっていた。おいらが作った製品が元祖に近い。その後AutoCADの標準機能としてレイアウトモデル化コマンドができたけれども、いまだにおいらの作ったツールはニッチな領域で使い続けられている模様。たまに問い合わせや変換トラブルがあるから、その調査のためにたまにC++でプログラムを改修している。それが今のおいらの唯一のプラグラマとしての仕事。プログラムを書いてると楽しいなって気持ち今だにあって、やりきった後の満足感は高い。

【アジアンビーチの魅力】
最初はプーケットだった。ハワイ、グアム、サイパンなんて普通のリゾート地は行ってみたし、同じアジアに魅力的なビーチがあるってことなら行ってみましょって感じだった。選定基準の一つに食事もあった。からいのでも有名なタイ料理。世界三大スープの一つであるトムヤムクン。からいもの好きな2人だったし、日本人の口にも合う味なんかクソだと思っていたから、現地でからいものを食いたかったのだ。JTBツアーで行くシェラトンの水上コテージは入門編としてはよかった。ツリートップもまぁまぁ。ダイアモンドクリフ、トリサラで頂点を極めたかな。トリサラに至っては、オープンしたてってことがあって安く泊まれたけれども、今じゃ高くてとても泊まれまへん。プールヴィラの魅力に取りつかれた。部屋にプライベートプールがあって、部屋の敷地は200平米以上ないと満足できない。観光なんて滞在中に半日程度あれば十分で、あとはひたすら自分達のエリアでくつろぐ。プールサイドで読書して、たまにプールで泳いで、朝から酒を飲み、夫婦で語り合う生活。
転機になったのはビンタン島に行ったこと。プーケットも飽きてきたことだし、シンガポールにも行ってみたかったからという理由。バンヤンツリーに泊まった。蚊がスゴかった。殺虫剤散布を怠っていたのだろうか。夕方酔っぱらって寝て起きたらタイヘンなことになっていたという経験をした。そこでビンタンビールに出会い、インドネシアっておもしろいなと思い、アジアンビーチの王道であるバリ島に行ってみる気になった。泊まるホテルはカユマニスを外さない。最初に泊まったところであり、それ以来かならずカユマニスに泊まっている。バリ島内にいくつかあるカユマニスグループのなかではジンバランが最高峰。ビーチの目の前ってわけではないが、歩いて5分くらいでビーチに着く。海で泳ぐ習慣が全くない我々なので、そのくらいの距離感がベスト。海は朝食後の散歩でプラっと寄るくらいがよい。ウブドは思いっきり山の中にあるので一度しか泊まったことない。ヌサドゥアは近代的な感じがある分ややチープだけど、すぐ近く(車で10分くらい)にバリコレクションというショッピング&レストラン街があるからけっこう好き。でもやっぱジンバランが一番いいね(一番高いけど)。空港に近くて、昔は漁村だったところでバリ島のなかでは古くからあるリゾートエリアらしい。昔ここにあるディスコでテロがあったというのは聞いていたけど、それ以来特に危険なことは起こっていない。バリの伝統を生かした部屋のつくりで、全室プールヴィラで全部で15くらいしかないから、ホテル敷地内で客同士が顔を合わせることはそうそうなくて、ゆったりとした部屋の配置だから隣のヴィラの住人の声が聞こえるようなことは滅多にない。一度だけ中国人カップルの隣のヴィラに滞在して年中ケンカしているような大声で会話されて難儀したが、リクエストを出したらすぐに部屋を変えてくれた。とにかくバリは最高なので、この10年くらいは毎年行ってますな。今年ももちろんバリに行くでしょ。

【CADデータ解析の原点】
最初はPC-CADだったけど、そんなCADは誰も知らないからスルー。Jw_cad for WinつまりJWWがはじまりだった。今ではあまりみかけなくなってきた本屋さんは、昔ずいぶんお世話になった。Kendle大好きマン。ITコーナーの中にCADコーナーというのがあって、Jwwのデータ構造をあきらにするエクスナレッジという今はなき出版社の本を2000円くらいで購入。そこにはJwwのデータ構造がC++シリアライズの形で明確に記載されていて、大いにワクワクした。シリアライズって何?というレベルのおいらにとって、とても興味深く、JWWを読めるけっこう最初のCADとしてうちのCADは名前をはせた。JWW書出しだって、誰も出社していない土曜に1人でもくもく働いていたことは古きよきそしてブラックな時代を物語っている。やりたいことをやるならば、周囲の否定と戦わなければならなくて、そこから何かを得るならばぜひやってほしい。思い込みこそ必要悪だと思う。善をやりたいならば宗教家になってくれ。

今後もこの自己紹介ページは拡張していこう。ブログを書き始めたきっかけ、仮想通貨との出会い、港区区民としての自負、タワマンに住みたいな。。。なんてことについて。

投稿日:2015年1月12日 更新日:

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