今週の不労所得合計21,507円(年間累計43,807円)。USD/JPYのジワジワ上げに耐えられず、個別で買った買玉を売っちまった。日に20円のスワップ利益が出る買玉を持ち続けることに価値を見出していたが、売ったら100倍の2000円になるならと売ってしまうのもやむを得ず。
・トラリピ 21,507円
・トラリピスワップ損 マイナス0円
実働5日で在宅勤務1日で、その比率はわずか20%。週イチで在宅勤務と宣言してしまった手前、実績としてそんな結果を出さざろう得なかったから、ダルい気持ちをおさえての高密度出勤。その結果、週イチ出勤に意味を見出せなかったため、次週は週ニ出勤とする決意をした。そういや、4日の出勤のうちの1日は協力会社先への出勤だったか。それには大いなる意味があって、CADメンバーとの密度の濃い作業が行えてよかったさ。
来週はちょっと忙しくて、会社懇親会・同期飲み・高校のとある会議出席がある。同期飲みについては、コロナで中断していたものを再会するので4年ぶりってことになる。入社からもうすぐ31年経過。多くの同期入社の仲間のうちで気の合う4人で毎年飲み会をしている。4年の空白期間を経て、再び毎年ペースで飲み会を開催しようじゃないか。そのメンバーのうちの1名が異動になったとのこと。総務系部署から情報システム系部署への異動で、公募に応募して実現したとさ。54歳でよくまぁそんなチャレンジをしたもんだ。妻と子供二人の生活を背負ったオジサンなんで、まだまだきっちり働いて稼がなければならない。子供は大学生くらいで、マンションの35年ローンだってまだ終わっていないはず。そうなると、定年の62歳まで働くのは当然として、その後3年間の嘱託社員生活を経て、65歳の年金受給まで働き続けるということになる。おいらには到底考えられず、何なら55歳で今の仕事を辞めて、まいばすけっとで時給1500円で働こうかと思っているくらい。家は賃貸、子どもなしで妻は仕事持っているという環境の違いもあるからこその生き様。何が正解かなんてものはなく、自分らしくあればいいのも確か。悔いのない仕事ライフを送るために、チャレンジするのはよいこと。ダメならダメで、次の働き方を模索すればいいんだ。
今日の夕方姪っ子が仙台からやってくる。こないだ来たのが1カ月くらい前だから再来ということになる。布団レンタルは手配しており夕方に届く。もう新幹線に乗り込んだということで、昼前に東京に着いたら就職活動を行う。大学3年生。とある企業の面接って言ってたかな。バブル末期に就職活動した我々夫婦には苦労なんてなかったが、時代は変わり氷河期なんてのがあり、一時的に売り手市場もやってきたが、総じて厳しい状況みたい。30社受けて全滅なんて結果で心が折れたなんて話を聞くと恐ろしいことだと思う。おいらが今の会社に学校推薦で応募して、面接を1回して試験官の質問にまともに答えられなかったから落ちたと勝手に判断して、その夜に自信喪失して絶望したってのを今でも覚えているが、結果としては内定が出てその会社(およびその子会社)に31年も属することになった。大学ではCADを少しやってましたということをしゃべった後に、何て名前のCADか?と聞かれて名前は憶えていませんと言ったのだが、実際のところは友人がCADをやっていたというだけで、おいらはCADをやっておらず、うそを見破られてしまったのだ。あーあ、こりゃダメだなと思ったのさ。そんでもって、入社してから30年にもわたってCADを開発しているってんだから人生おもしろい。CADは枯れてきた。枯れ果てたら、おいらの今の仕事も幕を閉じよう。そして、次の仕事にチャレンジしよう。