他部署に属するある程度完成した人間に対して提案をすると、
やんわりとした拒絶を受ける。
ようするに黙殺されるということだ。
そんな経験をした一日であったと振り返ってみた。
組織や人間というのは、実質的には変化を求めていない。
表面的には変化を促すような活動をしているようにみえるが、
いざとなれば変化を拒絶して自分や組織を守ろうとする。
客観的に考えれば、自分もそういった人間の一人なのかもしれない。
みんな大人だし、直接の利害関係がないから、
決定的な否定や敵対的行動に出ることはない。
ちょっとおもしろそうなことを言っていて興味深いね、
くらいの反応はあるが、絶対的な否定や肯定はしない。
どうでしょうかと問いかければ、話をはぐらかすか、
ひたすら黙っているかのどちらかだ。
提案というのは認められないと意味がないし、
人々を引きこむ魅力的なものである必然性がある。
自分の力不足であり、活動不足であったと反省することしきり。
思いつきでものを言っていると思われた可能性もある。
権力というのは、勝ち取るものなのか与えられるものなのか。
実績を出したから権力が手に入るのか、
権力がないから実績が出せないのか。
相反する考え方で、おいらとしては前者を支持したい。
仮に目新しい提案が通った場合、既存の価値観の一部が否定されることになる。
既存の価値観に重きをおく人間にとってはいい迷惑であり、
それを潰そうとする行動は何ら不自然ではない。
不自然なのは現状を変えようとする行動自体であり、
新しい提案を促している組織そのものなのかもしれない。
おいらに足りないのは、徹底的なこだわりと断固たる覚悟だったのだと思うことにした。
いっそ何もかも壊れてしまえ!
という心境で事に当たってみよう。
やんわりとした拒絶
投稿日:
執筆者:cad
それ,わたしもよくあります(笑)
っていうか,物事って,正攻法で通らないことの方が多くありませんか?
正しいやり方は,根回し,根回し…なんだと思います(!?)
でも,私は根回すのも根回されるのもあまり好きではないです。
玉砕しても正面突破が好きです。
それも,自分にも相手にも逃げ道のない(会議のような)場で「さあ,どうです?」と決断を迫るのが(笑)
個人的な相談だと,何の証拠も残らずもみ消されちゃいますから,勝ちであっても負けであってもその事実が残る公の場で戦うのが好きです。
あと,二股をかけるなんてこともたまにやります。
同じプランを複数の場で提案し,採用されたところで実行するというやり方。仮に,採用された方でプランがうまく成果を上げると,やんわり拒否した方が悔しい思いをするという結果になります。(滅多にないですけど)
最後に反則技として知らないふりして勝手にやってしまうというやり方。
内容によるんですが…。
いずれにせよ,大人の世界っていろいろあってめんどくさいですね。
正直準備不足だった感も否めず、結果への後悔は少ないです。
しっかり勉強しなおして、やれるこをこつこつと継続して、
近い将来もう一度トライしてみようという感じですかね。
根回しか...。