2025年9月で会社を辞めたので、次のステージに行く。
まずは、この32年で得た経験から感じた教訓。
・報われないとわかっている長時間労働はやめておけ
・自分がやりたいと思ったことにはトコトン時間をかけろ
・自分にしかできないレアな技術力を身に付けられたら、仕事人生は楽勝
・上司ガチャの当たり外れは確実にある(自分にはどうにもならん)
・転職サイトに登録して、自分の能力がいくらで売れるかを確認しておけ
・インプットだけではダメ、アウトプットの数と質が自分の価値を高める
・自分の経験だけに頼るな、歴史からも学べ(本を読め)
・自己肯定感が下がったら黄色信号、変化を求めて行動すべし
・妻が機嫌いいのが夫婦長続きの秘訣で、そのために骨を折れ
入社からの32年間を振り返る。23歳から55歳までの長い年月。総じていい思い出となっているが、もちろん平坦な道のりではなく、困難に直面して思い悩んだり達成感を得て喜んだりの連続だった。
バブル崩壊の2年後に某OA商社に入社。世間的には就職氷河期の初年度となっているが、まだバブルの名残があってギリギリ売り手市場だったと言える。OA商社に入ったのは、東京勤務で都会的な暮らしを継続したかったから。地方の工場の独身寮なんかに絶対入りたくなかった。当時はSE入社でも営業を体験するという文化があり、平成5年入社は最長の1年を営業をしなければならなかった。1年ということは営業レースに参加するということであり、ゲスト扱いなしの本気営業で、毎日ニューコールの日々だった。このニューコールによって、某証券会社に最新UNIXシステムを導入するきっかけを作れたことは印象深く、唯一の成功体験だった。他にいい思い出はないが、苦しみから学ぶことは多かった。一つ上の先輩営業がどうにもイヤなヤツで嫌われながらも自分を保って過ごした。営業レースを乗り切り(確か新人賞の末端に入った)、晴れてSE配属となりそれが子会社のCADを開発する部署だったのは運がよかった。工学部機械工学科出身だからCADに直結したのだろう。CADとの出会いは私の仕事人生の幸運。ニッチなところで地味に結果を出し続けてきたという自負がある。大きな土俵での戦いで勝てないなら、小さくて目立たないところで戦えばよい。ナンバーワンを目指すよりも、オンリーワンを目指してきたというのが私の仕事のやり方だった。
CAD開発課時代は最長で25年。場所は駅からそこそこ歩いた先の閑静地区のビルの5F。1年間の営業研修などを経て配属されたのが、入社してから1年半後だった。SE入社でも営業を1年やりきったことはいい影響を与えたと思う。CADを立ち上げた名物課長がいて声が大きく存在感があった。1年ほど後の我々の結婚式の仲人をやってもらった。インターネットもケイタイもなかった時代。PC98パソコン+Windows 3.1+Netware。社内にはオフコン系、パソコン系、CAD系の3つ流れがあった。CAD開発は10数人のメンバーがいて、親会社の販促部隊と動きを共にしていて、自社の本流とは物理的にも論理的にも距離があった。CADの2課体制の時代がピークで、メンバーが20人弱になった。人の出入りは激しかった。新卒配属もあったし、中途採用や、他課からの異動もあった。私にとってはこの課=会社という印象が強く、自社の他課メンバーとの接触は年に1、2度という感じで、どちらかというと親会社のメンバーのほうが近しかった。すべてはここからということで、私のCAD人生の入口であり20数年異動もせずにひたすらCADをやり続けて、今の私に最も影響を及ぼした時代だ。
統括課時代は、情報系と業種系アプリに複数手を出して、どれもまともに回せなかったという残念な時代。長く続いたCAD開発時代が終わってすぐだったこともあり、CAD以外にも注力しなければならなかった。個人的にはどれもうまくいかなかったわけだが、だからこそベースに存在し続けたCADがあってよかったと思えた。本流で成果を出せなかったのは自分の実力であり、非主流であることを自分に言い聞かせるいい機会だった。この時代に5年連続の降級がはじまり、自己肯定感が下がった。誰のせいでもない、まぎれもなく自分の責任。上司ガチャとか運のいい悪いというのもあっただろうが、他人からの評価なんてそんなものだと割り切れた。実際の仕事としてプログラミングから手を引いたのもこの頃で、CAD&プログラミングあってこその自分であることを失敗から学べたように思う。期待に沿えなかったのは確かだが、期待そのものに疑いを感じたのもこの頃だ。
カスタム課時代は、社内のCADメンバーが集結していた。自分が関わるCAD以外に、自動製図系のモノがあった。協力会社メンバー2名が自社に合流してきて、一緒にその自動製図の開発をしていたのは記憶に新しい。CADに強い親会社が、地味で底力のある2次元CADを推進していたのがこの2製品。両者を合体させた製品を作ろうという私の発想が実現しなかったのは残念。社内におけるCADの位置付けが年々下がり続けて、知る人とぞ知るという状況なので仕方なし。メンバー(私を含む)は、地味だが確固たる技術力と信念を持っていた。高い評価を得られなかったのは非主流ゆえの運命。製品が存続して、地味でも継続性があったということでは運がよかったとも言える(国産CADが次々と消えていく状況との対比)。この頃に降格。いつまでも評価を得られるわけもないことを実体験として味わった。
最後(現所属)が技術課。CADをやりつつ次世代開発の手伝い。CAD以外だとPDF扱いが私の得意分野なので印刷系に踏み込んで、あれやこれやとコアな技術に触れられたのは財産。EMF=Enhanced Metafileがキーワードで、コピペで保持されるラスター含みのベクトル情報のこと。WindowsのWindowsたる原始的な技術であるが、CADに関わる中では何も知らなかったと言える。EMFをメタ解析しようとするもGDIの難解さに心折れて尻切れトンボになった。いろいろあってPythonに手を出した。Python_pptxでXMLをPowerPointに変換するという試み。MS-Office製品の中で、レイアウトの柔軟性が高いのは断然にPowerPoint。Wordはシンプルに使いにくく、Excelは画面と印刷物にズレが当たり前におきるため。PowerPointがCADにちょっと近いんじゃないかと思ったこともあり、けっこう時間をかけて調査してやりがいがあった。文字表現の互換性がタイヘンで、宿題をいくつか残してきてしまったが、まぁ仕方ない。